1955年生まれ。
大学卒業後、約6年間製薬企業で人事業務を担当した後、京都の大手電子部品メーカーに勤務。
電子部品メーカーでは内製設備製作部門にて国内外の関係会社に対する設備の生産管理(納期、資材管理など)を行う。この間に多くの関連する仕入先や取引品目に触れるとともにコストダウン交渉なども行う。
その後、同部内の研究開発の管理に携わり、研究者の論文データベースや特許提出データの管理などを行う。当時黎明期だったパソコンや表計算ソフトやリレーショナルデーターベースを利用、簡易なシステムは自作した経験もあり。
本社の技術管理部門に異動後、研究開発部門の開発した各種電子デバイス等を生産子会社に製造移管するまでのプロセスを管理。試作品などの原価計算、コスト改善などを行う。
のちに連結子会社を含む研究開発管理業務を担当し、全社の研究開発予算の編成、実行管理を行う。
経常的に売上高の7~8%をR&D費用に充てる研究開発型企業であり、投じた資金がちゃんと成果に結びついているのかなど、成果の測定指標なども導入した。
研究開発は期中での方針変更や急な予算が必要になることが多く、これらに機動的に対処できるような仕組みも作り、タイムリーな開発や投資ができるようにした。
また、将来の技術や自社の進むべき事業のロードマップと実際のR&D資源の投下が方針などと合っているのかなどもきちんと検証し、視覚化して経営トップにも提言した。
自分自身はもともと文系出身であるが研究開発管理部門で多くの技術者との交流や材料から製品、生産設備の開発にかかわる情報にも数多く接してきたことで技術に対する興味や世間の新技術、トレンドに対する興味・関心が高い。
現に退職するまで私を理系出身だと思っていた人が多かったというエピソードがあるくらいである。
新しいもの好きで新しい技術にも興味津々である。
また、この会社員生活で「技術」「科学的管理」というキーワードに出会った。製品の品質管理でも経営でも数値化して目に見えるようにしていくことである。企業にとって品質事故は顧客の信用を一瞬で失ってしまう。
昨今の大手企業はこれらをやっているつもりで自らのプライドだけで大丈夫と思って軽んじていたのだろう。
品質事故や不都合な事実の隠ぺいが露呈している。
不都合なことほどオープンにしないといけないとつくづく思う。
定年後、大学の産官学連携部門で大学発ベンチャーの支援を行うインキュベーション施設のIM(インキュベーション・マネージャー)として主にベンチャーや新規起業希望者の入居や入居後の各種支援を行った。
ここで感じたのは誰しも起業の際は夢や希望を持って成功者になろうという意気込みでやってくるのだが、途中で?ということも多い。
単なる思いつきがビジネスで大当たりすることも無くもないのだが、そんなに甘いものではない。
やはり、どこにどれだけ大切な経営資源を振り向けるかが大切である。
思いつきで次々と新しいビジネスに手を出した結果、どっちつかずで最終的には撤退という事例も何例か見てきた。やはり目のつけどころ(事業のスジの良さ)と資源配分だと思う。
その時に気分であれもこれも手をだすと資源が分散して首が回らなくなる(いろんな意味で)のを見てきた。
自分だけの判断だと間違いに気づかないことも多い。
そのようなときに冷静な視点で意見を言うのがIMの役割だと思う。
企業に勤務しているときに研究開発部門のエンジニアとのヒアリングや面談、テーマのヒアリングなどを通じて、ある程度の勘は働くようになった。
それは「この技術はたぶん筋がいい」「ゴールはかなり遠いな」とか・・・。
また、一時キャリアカウンセリングの資格も保有していたことで人の話を聴くことや聴き方についてはほんの少しであるが知っている。
学生の就職相談に乗ったこともある。
大学でのIM経験、大学の教員との連携の経験、学生ベンチャーの起業をお手伝いしたこと、関西の大学が集まり、学生のビジネスコンテストの支援をしたことは今になって非常に有効な体験だったと感じている。
今の自分の周りの“不”のつく事象(不便、不満、不自由・・・)や
”困りごと“を探すことが新しいビジネスのネタだといわれている。
そのために日常生活で気をつけるのは
「今、何が流行っている?」
「世代ごとでどんなものを持っている?」
「電車の中吊り広告ではどんなものが多い?」
「どんなブランドの買い物袋を持っている?」
など観察しているだけで結構ネタになるのではと思う。
私の略歴とは少しばかり脱線したところもあったが、こんなことを「無駄」とも思われる雑談のなかに見出して、新しいアイデアの参考にすることも大切なことだと思う。
滋賀県立草津SOHOビジネスオフィス
インキュベーションマネージャー 野村 聡